先日は大林和美さんのお別れの会に参加して頂きありがとうございました。
遅れてくる人がいたりと、はじまるのが遅くなり失礼しました。
今まで聞いたことがない高校時代のエピーソードなどを聞くことができてよかったです。
彼女の人生としては大変なこともたくさんあったと思うのですが、それでも「大丈夫、なんとかなる」といって突き進んできました。
病気になってからも1日でも長く生きていたいと、体に良いと言われることは何でも取り入れて頑張っていました。
最後の1年は鎮痛剤に頼りながらの生活、だんだんと薬が効きにくく動けないほどのしんどい時間が長くなる、高熱が下がらない、お腹の痛みが強くなる、足の浮腫や腹水が強くなる、食べるのが好きだったのに食べれなくなるなど辛い期間ともなりました。
それでも最後の入院となる直前まで身の回りのことは自分でやっていました(動かないと筋力が落ちると言って、なかなか人を頼らず困ってもいたのですが)。
そしてそんな状況でも自分のことより人のことを心配しているような人でした。
お別れ会で伝えて欲しいと言われていたのが「幸せだった。」「自分のことで悲しまないで欲しい。」でした。
縁のあった人たちが「幸せに」「笑顔に」なることを最後まで願っていました。
和美さんの娘さんお孫さんのことを、これからも気にかけてくださると助かります。
また、お仲間で集まったときに和美さんの思い出話をしてもらえると嬉しいです。
これなかった方にもよろしくお伝えください。
お別れの会の参加、本当にありがとうございました。
和田智義
最後に写真を何枚かのせておきます。このページは少ししたらクローズしますので、必要であれば写真を保存してください。写真を見ていると、本当に病気だったというのがウソのようです。

紀の川市の喫茶店サンスイ、庭の鯉をみて喜んでいる

仲間におだてられこんな写真も撮りました
なんやかんや嬉しそうでした

なんとか行けた高野山

両親のご供養をしたいと粉河寺

お花が好きでした、勝利寺(九度山)のあじさい

今年の桜、入院する数日前、最後のドライブとなりました
光三宝荒神社の駐車場